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それぞれの好きなもの、三人の書評
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風は立っているか

えっと、またもやお久しぶりです。そしてまた私です。黒羽です。
夏ですね。私は夏が嫌いです!

んで、今話題の映画「風立ちぬ」についてちょろっと書きたいことがあったので、ひさびさに更新してみようかな、なんて。
ネタバレ含みますので続きからご覧ください。






劇場で見たときは切なくって涙が止まらなかったですよ。でもあとから冷静に考えると、なんてひどいお話なんでしょう。むかついてくる。だけど、この映画もう一回見たとして、私はやっぱり泣いてしまうんだろうなって。そこまで強引に感情を揺さぶってくるのは、やっぱり映像と音楽のすごさなのかな。恐ろしい。
ただひたすらに美しいだけのお話ですけど、それってすごいおぞましいことですよね。実際にあるべきあらゆる不都合なことから目を背けて、主人公はひたすら理想を追求するんです。汚いシーンはひとつもないんですよ。震災とか、火事とか、墜落した飛行機とか、どれもひどく遠い出来事として、ある種の美しさすら感じられるようなそんな描き方。「ずたずたになった後半」すら一つも描かない。
これは昨夜大石と話したんですけど最後のシーン、最初は天国かと思ったんです。でも「生きねば」ってさらりと言われるの。なんで? 恋人も飛行機も失って、国も自分もずたずたになって、なんで生きなくちゃいけないのか。もういっそ死んだほうがよくね? じゃあそのずたずたの生が、二郎に科された罰なんだねって。あんまり業が深いねって。
でも菜緒子さんが「生きて」っていうんだよねえ。二郎のその後の生は、飛行機を作って得た罰であると同時に、カプローニや菜緒子から与えられたものなのかなあ。そういう矛盾の中で生きてるの。
なんか今までのジブリの映画って、現実の汚い部分とかネガティブなものを、人間の強かさで乗り越えてやる!っていうパワーみたいなものがあったはずなんだけど。風立ちぬではそういう不都合なものを完全にスルーして、描かないことでかえって浮き彫りにしていくっていう、なんかいつになく難しい表現の仕方をしてるんですね。ポニョの次にこんな映画ぶつけてくる宮崎監督ってすごいな。
私はナウシカが公開された年に生まれて、ジブリを見て育ってきた世代です。ここまで色々もやもや考えてみて、宮崎監督というかジブリが、そして自分自身が、もうこんなところまできちゃったんだなあーっていう感慨でいっぱい。私だって毎日辛い現実から目を背けるのに必死ですよ。現実から逃げまくってますよ。でもそういう弱さがあってもいいじゃん。戦わなくてもいいじゃん?って言われたような気持ち。だから私はこの映画は好きですね。でも私には二郎みたいな才能はないわけで、二郎でさえそうなのに、私がそれをすると、本当にただのクズにしかならないから、そこは勘違いしないように、気を付けないとね。

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